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ライフログ
カラヴァッジョ巡礼
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2012年 01月 31日
早朝から夕方までのマカオを北から南までの歩き通しでした。
初めての土地で分からないので仕方がありませんが、正直疲れ果てました。 でも、これも旅行の思い出。 やっぱり我が家の個人旅行は、足で稼ぐしかありません。 ホテルの部屋でひと休みしてから、ちょっとお散歩。 ![]() 中庭の聖ジェームス礼拝堂へ。 ![]() この像は要塞として使われていた当時、 兵士が寝静まった頃、辺りを巡回して歩き回り、 任務を怠った兵士の足を蹴飛ばしたという伝説が残っています。 クリスマスのこの日、ホテルのスパニッシュレストランで晩ごはんです。 最初に出されたのがこのグラス。 ![]() 中身はシャンパンではなく、 なんとなんと、ぬるいお湯。 中国の習慣に合わせているのでしょうか? でも、パンと一緒に味わうのは??? とってもビックリのカルチャーショック第一弾。 前菜の魚のパイ包み。 ![]() カタローニャ風スープ。 ![]() 鱸のアプリコットソースがけ。 ![]() メインはイベリコ豚のロースト。 ![]() 料理に合わせてワインを頼みましたが、なかなかサーブして頂けません。 周りの人たち(たぶん中国の若者)を見ると、 ボトルでワインを頼んでいる人はいませんでした。 中国では超高級ワインが売れているようですが、 食事とワインを合わせる習慣はまだそれほど浸透していないのかなあ と思いました。 ![]() 自分のペースで飲めないのはなかなかの辛抱が必要でしたと カルチャーショック第2弾。 でも、こういう体験が日常とは違った 旅ならではの醍醐味です。 ブッシュ・ド・ノエル(のようなもの、かなりの塩味)を頂いて クリスマスをお祝いしました。 ![]() 2012年 01月 29日
鄭家大屋の裏道を南へ。
![]() しばらく歩くと港務局大樓が見えてきます。 ![]() 19世紀のイタリア人カッスートの設計。 もともとは、ポルトガルがマカオを永久植民地化させた時期に、 インドのムーア人を動員して治安維持にあたらせ営舎です。 ![]() どことなくイスラム風のアーチの前に、錨が横たわっています。 ![]() ポルトガルのタイル屋さんなど、西欧の物資を扱うお店もちらほら。 イタリア食材のお店は日曜定休で、残念ながらクローズ。 ピッツェリア・トスカーナなーんていうお店も見つけました。 ![]() ここからは、坂道。 ヒイコラ言いながら這い上がると、 丘の上のペンニャ教会。 ![]() 毎年5月13日には、聖ドミニコ教会からマリア像を運ぶ 「ファティマの行列」が開催されます。 ![]() 教会前の広場からはマカオの町並み。 ![]() 反対側の展望台からは、中国本土が望めます。 ![]() 夥しいビル群に中国パワーを感じました。 この辺りは、超高級住宅街。 ![]() フェラーリーやらヴィンテージカーが、すき間から垣間見えました。 マカオ北部の紅街市から歩き通して、いい加減疲れ果てました。 地図上ではホテルまで直線ルートのように見えましたが、、、 実は断崖絶壁。 個人旅行の醍醐味と苦しさ満喫です。 ぐるっーと一時間ほど山の手高級住宅街を迂回して、 保養所のテニスコートの脇を降りて、 やっと海岸沿いに降りてきました。 ![]() と、どこからか叫び声が。 ![]() マカオタワーをよく見ると、 バンジージャンプの人が降りて(落ちて)いました。 ※左側、真ん中より少し下の小さな点のようなものがバンジーの人です。 やっとこさホテルにたどり着き。 ![]() サングリエで休憩です。 ![]() 北から南まで、 庶民の市場から山の手高級住宅街まで、 マカオの街をしっかり歩き通しました。 2012年 01月 28日
ポルトガル人が最初に住み着いた地域にあるリラウ広場。
![]() ポルトガル語で「リラウ」は「山の湧き水」の意。 「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない。 マカオで家を持ち、マカオに帰るだろう」 と、かつて歌われたそうです。 何気なく歩いていたら「鄭家大屋」の案内板があったので、 予定外ですが行ってみることに。 これが思いの外のヒット! まず、入口門樓から留月院へ。 円く開いた月門から奥へと続く轎道が見えます。 ![]() 反対側からの眺め。 ![]() 菊の黄色が鮮やかです。 ![]() 接待處は、 現在博物館として使われており、色々な展示物がありました。 中国語の説明は???でしたが、 この建物の梁の構造や町並みの模型があって楽しめました。 ![]() ![]() 右側、奥へと続く建物が鄭家大屋。 オレンジ色の光が灯っています。 方形內院はヨーロッパの教会のキオストロを思わせます。 ![]() ひょうたん型の葫蘆窗洞からの眺め。 ![]() 中国ならではの建築意匠でしょう。 餘慶堂の入口。 ![]() 一階は簡素な造りですが、 優美な透かし彫りが施されています。 ![]() ![]() 二階がメインホール。 ![]() 風格ある梁と柱が剥き出しの広々とした空間です。 細部にも凝った意匠が見られます。 ![]() 雨水管も竹を模したデザイン。 ![]() 澳門歷史城區主要由22個文物建築、街道及前地空間組成。 其中鄭家大屋是澳門現存建築面積最大的民居建築群 。 鄭家大屋具有廣東傳統民居的特徵, 同時也糅合了很多外來文化的影響,可謂中西合璧。 ここでしか見られない貴重な建築を堪能しました。 2012年 01月 26日
今冬一番の寒さの名古屋です。
こんな日には鍋です。 というわけで、冬に一度は食べたい「常夜鍋」をリクエスト。 ![]() 日本酒を入れた昆布だしに、ほうれん草とねぎとお豆腐を入れて、 豚肉をかぶせて蒸し煮風にするのが我が家流。 体を芯から温める日本酒は、 秋に中津川の駅前の酒屋さんで買ったもの。 ![]() 「冷蔵庫で寝かせておいたら、正月ぐらいが飲み頃だよ」 と言われていましたが、 いつもの貧乏根性で開けそびれてしまいました。 ![]() 地元のお酒「鯨波」は、 ふくよかさと渋みと、ひな臭さがしっかりありますが、 どれもが突出することなくいいバランスの地酒らしい地酒で美味しかったです。 ![]() 岐阜県恵那の酒ですが、 野沢菜との相性がやっぱり良かったです。 中津川名産のあじめこしょうも入れて ![]() 最後は焼きもち。 ![]() 体の中から、ポッカポカになりました。 2012年 01月 25日
マカオの山の手地区、
聖ローレンス教会のすぐそばにある聖ヨゼフ教会。 1728年、イエズス会によって アジア布教の宣教師養成のためにつくられました。 マカオのシンボル「大三巴」(聖ポール天主堂跡)に対して 「三巴仔」とも呼ばれます。 外壁に囲まれた入口を入ると、 ![]() 階段の奥に大きなファサードが広がって、訪問者を迎えてくれます。 ![]() この教会も、広々と明るいマカオのスタイル。 ![]() 交差部には、 マカオの教会の中ではここだけというドームがあります。 ![]() 中心にはIHSのイエズス会の紋章が見られます。 祭壇には、最後の晩餐の浮彫り。 ![]() 主祭壇にはバロック様式のねじれた円柱が見られます。 ![]() 入口脇にも妖しく照らし出された4本の柱。 ![]() さて、 この教会で見落としてはならないのは、右手にある礼拝堂。 ![]() フランシスコ・ザビエルの右手の遺骨が安置されています。 ![]() 日本にキリスト教をもたらしたザビエルは 1552年に中国の川上島で亡くなり、 インドのゴアで埋葬されました。 右腕の遺骨は一時日本に運ばれましたが、 キリスト教禁止令で再びマカオへ戻され、 しばらく聖ポール天主堂で保管されました。 その後、聖ポール天主堂の火災により聖アントニオ教会へ、 さらに聖フランシスコ・ザビエル教会と転々として この聖ヨゼフ教会へともたらされました。 1年前に訪れたローマのジェズ聖堂にも、 右手の遺骨の一部が安置されています。 ![]() ![]() イエズス会の重要な聖遺物です。
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