イストリア半島・ロヴィニ①
2010年 07月 20日
イストリア半島(クロアチア語ではイストラ半島)をリエカ・オパティアと回って、
先端近くのプーラからロヴィニへと向かいました。
中世の雰囲気を残した人気の港町。
古くはルジーニョと呼ばれた小島は、
1283年からヴェネツィア共和国の一部となり、共和国滅亡まで運命を共にします。
18世紀には半島との間の海峡が埋め立てられ、地続きとなります。
ボートで海を満喫する人たち。
細い路地でそぞろ歩く観光客。
みやげ物屋さんもたくさんあって、
歩き疲れた足を止めてショッピング。
路地の間から海が眺められます。
丘の上の高台に建つのが聖エウフェミア教会。
鐘楼の上には、聖女エウフェミアの銅像があります。
4世紀、ディオクレティアヌス帝の時代に迫害されたカルケドンの聖女エウフェミア。
車輪で拷問されても信仰を捨てず、円形闘技場でライオンにかみ殺され殉教しました。
祭壇裏には聖女の遺体の入った石棺が納められています。
もともとコンスタンチノープルにあった聖エウフェミアの石棺が
ロヴィーニ沖に忽然と現れ、その石棺を村人たちが引き上げようと試みたものの、
あまりの重たさに引き上げられなかった。
そこにどこからともなく現れた幼い少年が2頭の子牛とともに、
海から棺をを引き上げたという伝説が伝わっています。
教会前の広場からは、アドリア海に浮かぶ聖カタリナ島が見られます。
下の岩場では、みんな寝そべってバカンスを楽しんでいました。
先端近くのプーラからロヴィニへと向かいました。
中世の雰囲気を残した人気の港町。
古くはルジーニョと呼ばれた小島は、
1283年からヴェネツィア共和国の一部となり、共和国滅亡まで運命を共にします。
18世紀には半島との間の海峡が埋め立てられ、地続きとなります。
ボートで海を満喫する人たち。
細い路地でそぞろ歩く観光客。
みやげ物屋さんもたくさんあって、
歩き疲れた足を止めてショッピング。
路地の間から海が眺められます。
丘の上の高台に建つのが聖エウフェミア教会。
鐘楼の上には、聖女エウフェミアの銅像があります。
4世紀、ディオクレティアヌス帝の時代に迫害されたカルケドンの聖女エウフェミア。
車輪で拷問されても信仰を捨てず、円形闘技場でライオンにかみ殺され殉教しました。
祭壇裏には聖女の遺体の入った石棺が納められています。
もともとコンスタンチノープルにあった聖エウフェミアの石棺が
ロヴィーニ沖に忽然と現れ、その石棺を村人たちが引き上げようと試みたものの、
あまりの重たさに引き上げられなかった。
そこにどこからともなく現れた幼い少年が2頭の子牛とともに、
海から棺をを引き上げたという伝説が伝わっています。
教会前の広場からは、アドリア海に浮かぶ聖カタリナ島が見られます。
下の岩場では、みんな寝そべってバカンスを楽しんでいました。
by motoretta
| 2010-07-20 23:59
| クロアチア