ボスニア・ヘルツェゴビナ
2010年 09月 28日
ペリエシャツ半島から北に10kmほど行くとネウムという町に入ります。
ボスニア・ヘルツェゴビナ領です。
18世紀、ドゥブロヴニク共和国が敵対していたヴェネツィア共和国との直接的紛争をさけるため
ネウム一帯をオスマントルコに割譲しました。
ヴェネツィアに対する「防波堤」として作られた国境線の名残で、
現在もドゥブロヴニク周辺がクロアチアの「飛び地」となっています。
そのためドゥブロヴニクからスプリット方面に行くためには、
2度国境を越えなければなりません。
クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナへ。
そしてボスニア・ヘルツェゴビナからクロアチアへ。
クロアチアに再入国してしばらく行くと
ネレトヴァ川の河口に大きなデルタが広がっています。
この辺りはクロアチア屈指の柑橘類の生産地で、
道沿いにフルーツを売る露店が並んでいます。
シャワーを浴びるスイカが涼しげです。
ここから北東へと針路を変え、ネレトヴァ川をさかのぼって行きます。
再度ボスニア・ヘルツェゴビナへ。
渋滞に並んでようやく着いた国境検問所で
グリーンカード(短期滞在許可証みたいなもの)を買うように言われました。
Uターンをして、検問所脇の建物で購入。
二人分で20ユーロ。
私たちは日帰りの滞在ですが、一週間有効みたいです。
結局この国境を超えるのに40分ほどかかってしまいました。
ボスニア・ヘルツェゴビナに入ると次第に建物の外観も変わってきます。
ミナレットのような塔も見えました。
オリエンタルな感じです。
聖母マリアが出現により、現在有名な巡礼地となっているメジュゴリエを通り過ぎ、
さらに奥へ。
予定時間よりずいぶん遅れたものの目的地モスタルに到着。
1993年の内戦による砲撃の傷跡が、まだまだたくさん残っていました。
ボスニア・ヘルツェゴビナ領です。
18世紀、ドゥブロヴニク共和国が敵対していたヴェネツィア共和国との直接的紛争をさけるため
ネウム一帯をオスマントルコに割譲しました。
ヴェネツィアに対する「防波堤」として作られた国境線の名残で、
現在もドゥブロヴニク周辺がクロアチアの「飛び地」となっています。
そのためドゥブロヴニクからスプリット方面に行くためには、
2度国境を越えなければなりません。
クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナへ。
そしてボスニア・ヘルツェゴビナからクロアチアへ。
クロアチアに再入国してしばらく行くと
ネレトヴァ川の河口に大きなデルタが広がっています。
この辺りはクロアチア屈指の柑橘類の生産地で、
道沿いにフルーツを売る露店が並んでいます。
シャワーを浴びるスイカが涼しげです。
ここから北東へと針路を変え、ネレトヴァ川をさかのぼって行きます。
再度ボスニア・ヘルツェゴビナへ。
渋滞に並んでようやく着いた国境検問所で
グリーンカード(短期滞在許可証みたいなもの)を買うように言われました。
Uターンをして、検問所脇の建物で購入。
二人分で20ユーロ。
私たちは日帰りの滞在ですが、一週間有効みたいです。
結局この国境を超えるのに40分ほどかかってしまいました。
ボスニア・ヘルツェゴビナに入ると次第に建物の外観も変わってきます。
ミナレットのような塔も見えました。
オリエンタルな感じです。
聖母マリアが出現により、現在有名な巡礼地となっているメジュゴリエを通り過ぎ、
さらに奥へ。
予定時間よりずいぶん遅れたものの目的地モスタルに到着。
1993年の内戦による砲撃の傷跡が、まだまだたくさん残っていました。
by motoretta
| 2010-09-28 22:20
| クロアチア