ローマバロック8 サン・ピエトロ広場
2009年 06月 25日
サンタンジェロ城からバチカンへ向かうメインストリートが
コンチリアツィオーネ通り。
1920年代、ラテラノ条約を結んだムッソリーニが、
カトリック教会との和解を世界にアピールしようと、
古い住宅を取り壊し、「和解の道 (Via della Conciliazione)」を敷設したものです。
(ちなみに、この通りに面したバールで隣に座った西洋人学生2人組が、
コーラ1杯 5ユーロもする観光地値段に驚いていました。)
しかし、中世・ルネサンス期は住宅が立て込んでいて、
今とは全然、眺めが違っていたようです。
かつての巡礼者は、ごみごみした街路を抜け、
突如として現れた広大な劇場空間に目を見張ったことでしょう。
このサン・ピエトロ広場はベルニーニの設計により
1656年から67年にかけて、作られたものです。
2層の列柱廊で囲まれた楕円形の広場は
信者を迎え入れる母なる教会の手を示しています。
上部は140体の聖人像で飾られています。
中央には、カリグラ帝の時代にエジプトから運び込まれたオベリスクが立っています。
オベリスクと泉の間には、4本の列柱が1本に重なって見えるポイントがあります。
うれしくなって記念写真をパチリ!
コンチリアツィオーネ通り。
1920年代、ラテラノ条約を結んだムッソリーニが、
カトリック教会との和解を世界にアピールしようと、
古い住宅を取り壊し、「和解の道 (Via della Conciliazione)」を敷設したものです。
(ちなみに、この通りに面したバールで隣に座った西洋人学生2人組が、
コーラ1杯 5ユーロもする観光地値段に驚いていました。)
しかし、中世・ルネサンス期は住宅が立て込んでいて、
今とは全然、眺めが違っていたようです。
かつての巡礼者は、ごみごみした街路を抜け、
突如として現れた広大な劇場空間に目を見張ったことでしょう。
このサン・ピエトロ広場はベルニーニの設計により
1656年から67年にかけて、作られたものです。
2層の列柱廊で囲まれた楕円形の広場は
信者を迎え入れる母なる教会の手を示しています。
上部は140体の聖人像で飾られています。
オベリスクと泉の間には、4本の列柱が1本に重なって見えるポイントがあります。
うれしくなって記念写真をパチリ!
by motoretta
| 2009-06-25 22:47
| イタリア