初めての土地で分からないので仕方がありませんが、正直疲れ果てました。
でも、これも旅行の思い出。
やっぱり我が家の個人旅行は、足で稼ぐしかありません。
ホテルの部屋でひと休みしてから、ちょっとお散歩。

中庭の聖ジェームス礼拝堂へ。

この像は要塞として使われていた当時、
兵士が寝静まった頃、辺りを巡回して歩き回り、
任務を怠った兵士の足を蹴飛ばしたという伝説が残っています。
クリスマスのこの日、ホテルのスパニッシュレストランで晩ごはんです。
最初に出されたのがこのグラス。

中身はシャンパンではなく、
なんとなんと、ぬるいお湯。
中国の習慣に合わせているのでしょうか?
でも、パンと一緒に味わうのは???
とってもビックリのカルチャーショック第一弾。
前菜の魚のパイ包み。

カタローニャ風スープ。

鱸のアプリコットソースがけ。

メインはイベリコ豚のロースト。

料理に合わせてワインを頼みましたが、なかなかサーブして頂けません。
周りの人たち(たぶん中国の若者)を見ると、
ボトルでワインを頼んでいる人はいませんでした。
中国では超高級ワインが売れているようですが、
食事とワインを合わせる習慣はまだそれほど浸透していないのかなあ
と思いました。

自分のペースで飲めないのはなかなかの辛抱が必要でしたと
カルチャーショック第2弾。
でも、こういう体験が日常とは違った
旅ならではの醍醐味です。
ブッシュ・ド・ノエル(のようなもの、かなりの塩味)を頂いて
クリスマスをお祝いしました。


しばらく歩くと港務局大樓が見えてきます。

19世紀のイタリア人カッスートの設計。
もともとは、ポルトガルがマカオを永久植民地化させた時期に、
インドのムーア人を動員して治安維持にあたらせ営舎です。

どことなくイスラム風のアーチの前に、錨が横たわっています。

ポルトガルのタイル屋さんなど、西欧の物資を扱うお店もちらほら。
イタリア食材のお店は日曜定休で、残念ながらクローズ。
ピッツェリア・トスカーナなーんていうお店も見つけました。

ここからは、坂道。
ヒイコラ言いながら這い上がると、
丘の上のペンニャ教会。

毎年5月13日には、聖ドミニコ教会からマリア像を運ぶ
「ファティマの行列」が開催されます。

教会前の広場からはマカオの町並み。

反対側の展望台からは、中国本土が望めます。

夥しいビル群に中国パワーを感じました。
この辺りは、超高級住宅街。

フェラーリーやらヴィンテージカーが、すき間から垣間見えました。
マカオ北部の紅街市から歩き通して、いい加減疲れ果てました。
地図上ではホテルまで直線ルートのように見えましたが、、、
実は断崖絶壁。
個人旅行の醍醐味と苦しさ満喫です。
ぐるっーと一時間ほど山の手高級住宅街を迂回して、
保養所のテニスコートの脇を降りて、
やっと海岸沿いに降りてきました。

と、どこからか叫び声が。

マカオタワーをよく見ると、
バンジージャンプの人が降りて(落ちて)いました。
※左側、真ん中より少し下の小さな点のようなものがバンジーの人です。
やっとこさホテルにたどり着き。

サングリエで休憩です。

北から南まで、
庶民の市場から山の手高級住宅街まで、
マカオの街をしっかり歩き通しました。

ポルトガル語で「リラウ」は「山の湧き水」の意。
「リラウの水を飲んだ者はマカオを決して忘れない。
マカオで家を持ち、マカオに帰るだろう」
と、かつて歌われたそうです。
何気なく歩いていたら「鄭家大屋」の案内板があったので、
予定外ですが行ってみることに。
これが思いの外のヒット!
まず、入口門樓から留月院へ。
円く開いた月門から奥へと続く轎道が見えます。

反対側からの眺め。

菊の黄色が鮮やかです。

接待處は、
現在博物館として使われており、色々な展示物がありました。
中国語の説明は???でしたが、
この建物の梁の構造や町並みの模型があって楽しめました。


右側、奥へと続く建物が鄭家大屋。
オレンジ色の光が灯っています。
方形內院はヨーロッパの教会のキオストロを思わせます。

ひょうたん型の葫蘆窗洞からの眺め。

中国ならではの建築意匠でしょう。
餘慶堂の入口。

一階は簡素な造りですが、
優美な透かし彫りが施されています。


二階がメインホール。

風格ある梁と柱が剥き出しの広々とした空間です。
細部にも凝った意匠が見られます。

雨水管も竹を模したデザイン。

澳門歷史城區主要由22個文物建築、街道及前地空間組成。
其中鄭家大屋是澳門現存建築面積最大的民居建築群 。
鄭家大屋具有廣東傳統民居的特徵,
同時也糅合了很多外來文化的影響,可謂中西合璧。
ここでしか見られない貴重な建築を堪能しました。
こんな日には鍋です。
というわけで、冬に一度は食べたい「常夜鍋」をリクエスト。

日本酒を入れた昆布だしに、ほうれん草とねぎとお豆腐を入れて、
豚肉をかぶせて蒸し煮風にするのが我が家流。
体を芯から温める日本酒は、
秋に中津川の駅前の酒屋さんで買ったもの。

「冷蔵庫で寝かせておいたら、正月ぐらいが飲み頃だよ」
と言われていましたが、
いつもの貧乏根性で開けそびれてしまいました。

地元のお酒「鯨波」は、
ふくよかさと渋みと、ひな臭さがしっかりありますが、
どれもが突出することなくいいバランスの地酒らしい地酒で美味しかったです。

岐阜県恵那の酒ですが、
野沢菜との相性がやっぱり良かったです。
中津川名産のあじめこしょうも入れて

最後は焼きもち。

体の中から、ポッカポカになりました。
聖ローレンス教会のすぐそばにある聖ヨゼフ教会。
1728年、イエズス会によって
アジア布教の宣教師養成のためにつくられました。
マカオのシンボル「大三巴」(聖ポール天主堂跡)に対して
「三巴仔」とも呼ばれます。
外壁に囲まれた入口を入ると、

階段の奥に大きなファサードが広がって、訪問者を迎えてくれます。

この教会も、広々と明るいマカオのスタイル。

交差部には、
マカオの教会の中ではここだけというドームがあります。

中心にはIHSのイエズス会の紋章が見られます。
祭壇には、最後の晩餐の浮彫り。

主祭壇にはバロック様式のねじれた円柱が見られます。

入口脇にも妖しく照らし出された4本の柱。

さて、
この教会で見落としてはならないのは、右手にある礼拝堂。

フランシスコ・ザビエルの右手の遺骨が安置されています。

日本にキリスト教をもたらしたザビエルは
1552年に中国の川上島で亡くなり、
インドのゴアで埋葬されました。
右腕の遺骨は一時日本に運ばれましたが、
キリスト教禁止令で再びマカオへ戻され、
しばらく聖ポール天主堂で保管されました。
その後、聖ポール天主堂の火災により聖アントニオ教会へ、
さらに聖フランシスコ・ザビエル教会と転々として
この聖ヨゼフ教会へともたらされました。
1年前に訪れたローマのジェズ聖堂にも、
右手の遺骨の一部が安置されています。


イエズス会の重要な聖遺物です。

苦心された跡が伺われ、生身剥き出しもいいものです。
これもジャガーXK-150。

組み上げる前の部品、勢揃い。
オートバイも2台。
こちらはブラフ シューペリア SS100。

第2次世界大戦前のもので、
バイクのロールスロイスと称されるほど高性能を誇ったそうです。
今回の展示で初めて知りました。
単なる模型を超えて、工芸品と呼ぶにふさわしい作品。
もう1台は、ドゥカティ851。

カウル、ガソリンタンク、シートをあえて取り外すことで、
ドゥカティ独特のフレームと水冷エンジンを際立たせています。
それから講演会「凝縮の美学 名車模型のモデラーたち 展」。

講師の高梨廣孝は
40代から会社の休みの日に制作を進められたそうですが、
やはり、道を極めた人の話は面白く、
その技術と熱意にたいへん刺激を受けました。
そして高梨さんが持ってきて下さった
BMW R80 G/S PARIS-DAKAR 1985。

やはりBMWのバイクと言えばボクサーエンジン。
以前乗っていた R1100Rのフィーリングを思い出しました。
エンジンのフィンは一枚一枚削り出し、後から繋げてあるのだそうです。


その作品はカーグラフィックのみならず
芸術新潮でも取り上げられたほど。

今まであまり馴染みのなかった世界ですが、とっても楽しく有意義でした。
まずは晩酌用の焼酎を買いに、いつもの酒屋さん。
先日、お食事会&飲み会で頂いたコクのある焼酎が美味しかったので、
似たようなものをと思って宝山「芋麹全量」を手にレジへ。
と若旦那から「仕込み水、持ってく?」とのお言葉。
バイクにも関わらず、一升ビンとペットボトル2本を持って伏見へ。
INAXギャラリーで開催された講演会に参加。

終了後、外に出たらまだ雨が、、、、
どうするものかと迷いましたが、明日の予定もあるのでバイクで帰宅。
重たい荷物でフラフラになりながら
冬の雨に身体の芯まで凍えましたが、
買ってきた焼酎と、

我が家の定番ピエンローであたたまり、先程回復しました。

講演会の報告は、また明日。
坂道を上がると、ここはどこ?

アジアとは思えない瀟洒な洋館が並ぶエリア。
1849年、当時のマカオ総督が住民を立ち退かせてつくった区域です。
広場の前に建つのは聖オーガスティン教会。

明るいクリーム色のシンプルなファサードです。
内部もパステルカラーで広々とした空間。

船底天井の3廊式のプランです。
マカオのキリスト教教会は
大勢の信者を迎え入れられる造りになっているものが多いようです。

主祭壇はバロックファサードを模したもの。

アーチの左右に角柱・円柱が林立し、ボリューム感があります。
奥には、十字架を背負いゴルゴダの丘に上るキリスト像。
この像、この教会からセナド広場近くの大堂に移されても
いつの間にかまた戻ってくるという逸話があり、
四旬節にキリスト像を担いで大堂まで練り歩く聖体行列が行われます。
一般観光客でも、祭壇の裏に入って近くで見ることができました。

このオープンさもマカオ流。
下のタイルはシンプルな花と十字のパターンのアズレージョ。

教会の前には、淡いグリーンのドン・ペドロ5世劇場。

中国初のオペラ劇場として建てられ、ポルトガル人の社交場となりました。
第二次世界大戦中は、
中立国であったポルトガルの領土マカオに逃げ込んだ人たちの
収容施設となったそうです。
山の手エリアを南に行くと、聖ローレンス教会。

風を読む(風信)聖人でもある聖ローレンスを
大航海時代、風に乗り、大海原を駆け回った
ポルトガルの船乗りたちが信奉していたことから、
華人たちはこの教会を「風信堂」と呼ぶようになりました。
この教会も、内部には明るく広々とした空間が広がっています。

受胎告知のステンドグラス。

外にある祠には、
アジアの南国らしく鮮やかな菊の花が供えてありました。

これだけのものはもう二度とお目にかかれないかも、ということで
まずはシンポジウム「ポロックがいま私たちに語りかけること」へ。

今まで全く馴染みのないモダンアートについて予習をしてきました。
そして、日を改めて展覧会鑑賞へ。

第二次大戦後のアメリカを、
パリをしのぐ美術の中心地とする上で大いに貢献した伝説の画家。
彼は、従来の西洋絵画の手法ではなく、絵の具とキャンバスを新たな方法で用いました。

缶に入った絵具やペンキを
床に置いたキャンバスに直接流し込んで描く「ポーリング」と、
明確な中心がなく
画面全体の中からどこを切り取っても均質に見える「オールオーヴァー」が
ポロック独自の様式です。
<ポーリングのある構成Ⅱ>

1943年、画面全体でポーリングを試みた作品。
部分のアップ。

完成された作品を見ていると、
制作途中の「絵の具が飛び散るさま」が
自然に頭の中に浮かび上がってきます。
評価額200億の<インディアンレッドの地の壁画>。

レンガ色の背景の上に複雑に絡み合う鮮やかな色。
上下左右縦横無尽に、そして幾重にも層を成し、
生命体のようにうごめいています。

絶妙に溶け合う緑と黄色。
間をつなぐグレーはアルミ塗料。
その上をさらに白と黒が飛び交っています。
大原美術館蔵の<カット・アウト>。

オールオーヴァーで全体を覆い尽くした後で、
中心を具象的な形にカットし、
オースオーヴァーが背景として使われています。
新しい表現を求め、
「すべてやっちまった」ピカソを超克しようとした
ポロックの挑戦する姿勢が感じられます。
44歳自動車事故で急逝するまでポロックが住んだ家は
アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されています。
そして今回の展覧会ではポロックのアトリエが再現されています。

訳の分からないモダンアートも、
実際間近に見てみるとなかなか楽しめるものでした。