ポレンタをパンと紹介していてビックリ!!!
トウモロコシを粉にして作ったポレンタとパンは非なるもの。
イタリア南部の人が、北部の人を揶揄した
”POLENTUN”「ポレンタ喰い」なんていう言葉もあるようです。
というわけで久しぶりのヴェネツィア旅行レポ更新は、
パドヴァの続きから。
サンタントニオ聖堂。
内部を観たあとは、キオストロへ。

さすがに巡礼地となっているだけあって広大な敷地です。
年末なのでプレセピオ。

これまた水も流れる大掛かりな展示です。
隣接するスクオーラ・デル・サント(サント同心会館)、2階へ。

広間には、ヴェネツィア派のフレスコ画が並んでいます。
若き日のティツィアーノの作品も。
<嫉妬した夫に殺められる妻>

画面奥では、聖人アントニオが後悔する夫に無実を保証しています。
<若者のちぎれた足をつなぐ聖アントニオ>

母親を足蹴にしたことを後悔した若者が、
自ら切断した足を元通りに治す聖人。
<新生児の奇跡>

自分の子供の父親が別の男ではないかと疑いを抱いた侯爵が
妻の不貞を裁判にかけるが、妻は無実を証明できない。
そこで、聖人は赤ちゃんの口から「自分の父親は侯爵」であることを証言させた場面。
ティツィアーノの、年代がはっきりした(1511年)
貴重なフレスコ画を見たあと、
トラムに飛び乗って駐車場へと戻ります。

パドヴァから少しドライブ。

30分ほど行った小高い丘には、
一人で畑仕事からワイン☞造りまでのすべてを実践している
アルフォンソ氏のブドウ畑が広がっています。

アポ無しで行ってみたためお会いすることはできませんでしたが、
素晴らしい景色にうっとり感動しました。

ヴェネツィア ローマ広場の駐車場まで戻って、
BAR CAFFE OLIMPIAでちょっと休憩。

駅近くだけあって割高でしたー。
11時半前に静岡インターを降り、
うなぎの石橋さんへ。

何とか並ぶことなくカウンターに座れました。
一品もの以外のメニューは「うなぎ定食」のみ。

皮はパリッパリッで香ばしいのですが、
名古屋のうなぎとはちょっと違って、身がとってもふっくらしていて
とっても美味。
うなぎの値段は高騰していますが、また機会があったらよってみたいお店です。
その後、静岡県立美術館の「草間弥生展へ。

ロビーには大きな水玉人形がお出迎え。

写真が撮れるコーナーもありました。

白いキャンバスに黒いマジックで描かれたモノトーンの連作
『愛はとこしえ』シリーズ。
無数の、「目」の模様や交差しない線で埋め尽くされた作品に
囲まれ、佇んでいると
何とも言えない圧迫感で目がクラクラとしてきました。
「マリーアントワネットと東洋の貴婦人展」が開催中。
イタリア ヴィチェンツァのオリンピコ劇場☞を訪れた際、
「(入口上のレリーフに)4人の日本人がいるよ。」
と教えて頂いてから、
西洋と東洋の出会いに興味を抱き、
故若桑みどり先生の講演を拝聴しに行き、
その後、安土☞・長崎・熊本・マカオ☞☞・ローマ☞☞☞など、
足跡を巡っております。
本展覧会でも、17世紀後半の東洋を、西洋に紹介した
『イエズス会士書簡集』などが展示されていました。
マリー・アントワネットが所持していたというものです。
『マリー・アントワネット最後の手紙』の写し。

処刑当日の早朝に義妹宛に書いたもので、
涙で字がにじんだ跡もあります。
イエズス会士の手による『18世紀当時の長崎遠景』。

北海道確認前の、当時の日本地図。

ミヤコ・カンゴシマ・オワリなどの文字が確認できます。
国指定重要文化財の『ドチリーナ・キリシタン』。

天草のコレッジョで活版印刷されたキリスト教布教本は、
世界に唯一の現存です。
さらに興味深いのは
ミュージアムとカフェをつなぐ「知恵の小径」。

アジア各地の名言が原語で刻まれたパネルが並んでいます。
ベトナム語で「独立と自由ほど尊いものはない」。

ホー・チ・ミンさんのお言葉。
この謎?の文字は中国南西部のイ語。

「人は知識を求めるも、豹虎は獲物を狩るのみ」との意だそう。
六義園の前でウサギ最中、

それから、東京駅グランスタで
つきぢ松露の卵焼きと

浅草今半のお弁当を満喫しながら、帰路につきました。


東京炒飯の野菜タップリ泡飯でヘルシーに。
上野に向かって、国立西洋美術館「ラファエロ展」。

開館時間前にも関わらず、長蛇の列。
係員の方いわく、これでも短い方なのだとか。
それから東京都美術館の「ダ・ヴィンチ展」。
<大公の聖母>や『アトランティコ手稿』はさすがに見応えがありましたが、
ラファエロ、レオナルド本人の傑作はごく少数。
残りのほとんどは周辺の画家の作品という、
最近よくある展覧会パターンで、今ひとつでした。
それより面白かったのは、駒込にある東洋文庫。

三菱三代社長岩崎久彌氏が中国に関する欧文文献
「モリソンコレクション」を購入したことに端を発してします。
現在の蔵書数は国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊です。
1階のオリエントホール。

国内最長の展示ケースには、世界各国の貴重な古書が並んでいます。
2階のモリソン書庫。

コンスタンチノープルからカムチャッカまでの欧文地誌や永楽大典などが並ぶさまは、まさに圧巻。
奥には、マルコ・ポーロの『東方見聞録』。

ヴェネツィア刊・ライプツィヒ刊・アントワープ刊など各国語で書かれたものが並んでいます。

マルコ・ポーロが東方を大旅行して持ち帰った情報が、当時の西洋でかなり貴重なものだったのでしょう。
(マルコ・ポーロの生家?はコチラ☞)
他にも好奇心をそそる書物がいっぱい。

甲骨卜辞片は紀元前17〜11世紀のもの。
漢字の原型を眺めながら、中国四千年の歴史を実感します。

日本の古書も興味深いものがあります。

これは江戸時代の『桜花聚品』。
桜の手書き絵図が282図も納められています。
顔を出してきました。

ちょっと天気が良くなかったのですが、
創業昭和2年!という天白区のカフェ キムラヤさんの店頭に
シトロエンDS3が今日・明日と出張展示されています。

二日間限定メニューの
ムール貝と小エビと白身魚のワイン蒸しにフレンチポテト添え。

しっかりした味付けでビールも進みます。
シトロエン名古屋天白の社長さんにビールを注いでもらって、恐縮です。
地下鉄・バスを乗り継いで行った甲斐がありました。
フランスパンではありませんが、
パンも柔らかめながらも、これまたしっかりとした味わいでなかなかの好印象。

店頭にあったあんパンを全部買って来てしまいました。

以前紹介した一社の炭火焼の「りゅいそう」さん☞は
どうやら系列のお店らしいです。
Iさん、ありがとうございました。
屋上ガーデンが公開されていました。


都心にいることを忘れてしまいそう。

白金台の畠山記念館へ。

「麗しの漆—蒔絵と螺鈿—」展。

精緻を極めた茶道具を見学です。
それから原宿の太田記念美術館で「北斎と暁斎 奇想の漫画」展。
北斎漫画と

暁斎漫画を眺め比べ。

暁斎の<風流蛙大合戦之図>はユーモラスな蛙の合戦。

ガマの穂を武器に真剣に戦う蛙たち。

見れば見るほどおかしな作品です。
最後に北斎のろくろ首。

富嶽三十六景から漫画、妖怪・お化けまで
北斎の多士済々の表現を堪能しました。
海外の方もたくさんいらっしゃっていました。
お待ちかねの晩ごはんは、目黒から少し離れた所にある
流行のイタリア料理屋 メッシタ さんへ。

黒板のメニューから選びます。

ざっくり切っただけのラディッキオと

そら豆とシラスのフリットをツマミに白ワイン。

ラグーのパスタも頂きました。

トマトとニンニクを使っていないのが、特徴的でした。
バスに乗って祐天寺へ。

ジェラテリア アクオリーナさんでは、
夜遅くまでジェラートが食べられます。

フルーツ系もナッツ系もチョコ系も◎。

イタリアで食べたものと違わぬ、美味しいジェラートでした。
寿司大さんはいつも通りの行列。

前回、一度は食べてみなくっちゃの執念で
お昼から4時間並んで食べましたが、
何ご飯か?分からなくなってしまったので
今回は行列ナシの鮨文さんへ。

撮影禁止のためかネットでの評価は高くないのですが、
なかなか美味しいお寿司を朝から頂きました。
気分よく外に出ると、
包丁の有次さんでは外国の方が真剣にお土産探し?

アベノミクスでしょうか、外国人観光客がますます増えたような気がします。
国立美術館に移動して、
「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣展」に
一番乗り。

レポが途中になっていますが、2010年のフランス旅行☞の際も
タペストリーを見ました。人も少なく写真も撮り放題でしたが、
当然日本では撮影禁止。
でもなかなか展示が工夫されていて、思ったよりもしっかり見られました。
お昼ごはんは六本木のカレー屋さん FISH へ。

刻み玉ねぎを眺めつつ暫し待って、

コンビネーションサラダ。

イタリアンドレッシングです。
カレーは、チキンとキーマのハーフ&ハーフです♪

ピリ辛玉ねぎとお漬け物も絡めます。

豊潤なスパイスの香りで美味しいカレーでした。
もう少し辛い方が好みなので、再訪時は大辛にしようかな〜。
FIAT500をレンタルした EUROPCAR からの手紙が届きました。
(半年近く経ってからです)
いやな予感は的中。

スクロヴェーニ礼拝堂の予約時間ギリギリだったので
ついつい慌ててしまいました。
旧市街中心部を知らず知らずの内に通ってしまったので、
「ヤバイ!」と思っていましたが、
やっぱりナンバーがカメラに写ってしまったのでしょう。
当局からレンタカー会社に紹介があったようです。

紹介手数料の45ユーロ請求されました。
以前ローマで、
ボルゲーゼ美術館の予約に間に合わそうとポポロ広場の門の下☞を
ついつい通ってしまった時は罰金の請求☞がありました。
フィレンツェでは、ガーミンの指示通りに走りましたが、
一方通行が変わってしまったため、ドゥオーモの前を通ってしまいました。
その時は、お咎めナシ。
町によってバラバラの対応なのがイタリアですが、
旧市街のある街を急いで通ると、
一方通行地獄にはまってエライことになります。
次回から、車は一駅離れたところに停めて
電車かタクシーで旧市街に入ることにしましょう。