「マリーアントワネットと東洋の貴婦人展」が開催中。
イタリア ヴィチェンツァのオリンピコ劇場☞を訪れた際、
「(入口上のレリーフに)4人の日本人がいるよ。」
と教えて頂いてから、
西洋と東洋の出会いに興味を抱き、
故若桑みどり先生の講演を拝聴しに行き、
その後、安土☞・長崎・熊本・マカオ☞☞・ローマ☞☞☞など、
足跡を巡っております。
本展覧会でも、17世紀後半の東洋を、西洋に紹介した
『イエズス会士書簡集』などが展示されていました。
マリー・アントワネットが所持していたというものです。
『マリー・アントワネット最後の手紙』の写し。

処刑当日の早朝に義妹宛に書いたもので、
涙で字がにじんだ跡もあります。
イエズス会士の手による『18世紀当時の長崎遠景』。

北海道確認前の、当時の日本地図。

ミヤコ・カンゴシマ・オワリなどの文字が確認できます。
国指定重要文化財の『ドチリーナ・キリシタン』。

天草のコレッジョで活版印刷されたキリスト教布教本は、
世界に唯一の現存です。
さらに興味深いのは
ミュージアムとカフェをつなぐ「知恵の小径」。

アジア各地の名言が原語で刻まれたパネルが並んでいます。
ベトナム語で「独立と自由ほど尊いものはない」。

ホー・チ・ミンさんのお言葉。
この謎?の文字は中国南西部のイ語。

「人は知識を求めるも、豹虎は獲物を狩るのみ」との意だそう。
六義園の前でウサギ最中、

それから、東京駅グランスタで
つきぢ松露の卵焼きと

浅草今半のお弁当を満喫しながら、帰路につきました。

最後まで、もうちょっとなのであと数回がんばってアップします。
その15☞の続きから。
ヴェネツィアンリゾートの地下が、世界最大のカジノゾーン。

下に降りてどんなものかとお勉強。
想像していたのとは違って、
結構普通っぽい、いわゆる町のオバちゃんのような人が
気軽に賭けている雰囲気に驚きました。
サン・マルコ広場?に戻り、

裏からホテル専用シャトルバスでマカオ本島へと戻ります。

さらに路線バスに乗り換えてマカオのシンボル媽閣廟へ。

この廟の前の海岸に流れ着いてきたポルトガル船員が
「ここはどこだ?」と地名を尋ねたところ、
廟の名前を聞かれたと勘違いした漁民が「マーコッ」と答えたことから
この半島が「マカウ」と呼ばれるようになったとのこと。
もともと海の女神である媽祖を奉るために建立されただけあって、
境内には船が描かれた巨石が置かれています。

お堂にも船の模型がありました。

長期間煙を出し続けるグルグル巻きのお線香は、
長い航海の無事を願ったもの。


奥の階段を上って行くと四つのお堂と

赤い字が掘られた巨石があります。

媽閣廟の向かい側にある海事博物館にも寄ってみます。
狩野内膳の南蛮屏風がお目当て。

アクロバチックな綱渡りをする船乗りや、

サングラスをしたイエズス会士にラクダ。

それから孔雀。

安土桃山時代、初めてヨーロッパ文明に接した人々の興奮感が伝わってきます。

大航海時代ポルトガル人によって「神の御名の都市」と言われた街、マカオに行ってきました。
若桑みどり氏の名著
『クアットロ・ラガッツィ〜天正少年使節と世界帝国〜』に出会って以来、
長崎・ヴィチェンツァ・ローマ・安土など☞で彼らの足跡をたどって旅してきましたが、
今回はイエズス会の布教の中心となったマカオです。
ローマから帰ってきた原マルチノは、帰国できずに晩年を過ごし、
この地で亡くなりました。
1年前のローマ〜フィレンツェ旅行のレポも未だに終わっていませんが、
しばらくマカオ旅行をアップしようと思います。
今年もおつきあいの程、よろしくお願いいたします。
大塚国際美術館の、壁画を環境空間ごとそのまま再現した「環境展示」で見たことはありましたが、
やはり実際に目の当たりにした時の感動は違いました。
首の痛さを堪えながら約一時間。
ミケランジェロの天井画と<最後の審判>、
ボッティチェッリ、ルカ・シニョレッリ、ペルジーノらの壁画を眺めました。
あまりの壮大さに頭がクラクラ。
写真撮影は禁止なので、
良ければヴァーチャルツアーをコチラ☞からご覧ください。
出る頃には、人でいっぱい。
やはり朝イチの見学をお勧めします。
次のお目当て、ラファエッロのスタンツェへ♪
係員さんに行き方を尋ねたら、近道の扉を開けてくれました。

ふと脇を見るとゴッホの<ピエタ>が。

ゴッホの数少ない宗教画の1つで
ドラクロワの同名作のリトグラフを模写したもの。
青い衣のマリアにまさに抱かれんとする黄土色のキリストは
ゴッホ自らの姿を投影したもので、
当時精神病院へ入院していたゴッホの精神状態を表していると言われています。
現代宗教美術コレクションもゆっくり見たかったのですが、足早に通り過ぎ
ここで朝食を摂りながらひと休憩。

甘パンとカプチーノです。

そしてスタンツェへ!と思ったら、別の係員さんから通れないと言われ、
もう完全に迷子状態の私たち。
いつの間にかシスティーナ図書館へ来てしまいました。

<オベリスク建立>の壁画は、シクストゥス5世が
サン・ピエトロ広場にオベリスクを建てさせた様子を描いたもの。

若桑みどり氏の「クワトロ・ラガッツィ」を読んで以来ずっと見たかった、
1585年ローマに着いた天正少年使節団が描かれている
<シクストゥス5世即位行進図>を探しました。


残念なことに、今回はつい立てで遮られており近づいてみることは叶いませんでした。
何とか隙間から小さく写真に収めました。
振り出しに戻って

エジプト美術館から再度ラファエッロのスタンツェへと向かいます。
やっとのことで着いたのは「コンスタンティヌスの間」。

この部屋の壁画はラファエッロの死後、ほぼ全面的に弟子たちによって制作されました。
左の壁画はコンスタンティヌスが312年マクセンティウスを破った
<コンスタンティヌスの戦い>が見られます。
<十字架の幻視>。

戦いの旗印とした十字架から放たれた光線に
「この印によりて勝たん」と書かれているらしいのですが、
はっきりとは見られませんでした。
<コンスタンティヌスの洗礼>。

そして隣の「ヘリオドロスの間」へ。
<聖ペテロの解放>。

窓からの現実の光を明暗表現のモチーフとして取り入れ、
中央でペテロを目覚めさせる天使からの強烈な光と同化させ、
聖なる奇跡の場面をドラマティックに演出しています。

<神殿から撃退されるヘリオドロス>。

中央でヘリオドロスを追撃する神の使者たちが、
間近で見ても宙に浮かんでいるように見えて、
本当に不思議でなりませんでした。
天井にも色鮮やかなフレスコ画があります。
中央には、天国に上る階段の夢を見て、
自分の子孫が偉大な民族になるという神の約束を受けた<ヤコブの階段>。

次は、いよいよ「署名の間」です。
途中でたまたま見つけたサンタ・マリア・デッロルト聖堂に入ってみました。

2本の付柱の上にアーチがかかったバロック様式の入口、
上部には十字架がのった小さいオリベスクの飾りがついています。
ファサードはジェズ聖堂建設にも関わったヴィニョーラによるもの。

ガイドブックなどには全く載っていませんが、
バロック式の内部は金襴豪華に装飾されていました。

聖母子が置かれたアプシスには、ナターレに合わせてポインセチアの生花が飾られていました。

小さく、無名ながらもなかなか見応えがある教会でした。
と思いきや、、、

安土城と同じ青い瓦を使った三階建ての純和風建築では、
宗教の他、ラテン語・音楽などが教育されました。
信長もフルート・オルガンなどの楽器を使った西洋音楽を好んで聴いたようです。
安土城考古博物館の安土城1/300の模型を見ると、
湖水に囲まれた当時の安土城の様子がよく分かります。
開催中の四季の花に遊ぶ鳥展では
伊藤若冲の<鳥禽図>がありました。

カラフルな色づかいは南蘋派の影響でしょうか。
すぐ隣の 安土城天ー信長の館へ。

1992年のセビリア万博に出展された
安土城天守の最上部5階・6階部分の原寸大復元模型が見られます。
朱で塗られた5階。

狩野永徳らに描かせた内部も絢爛豪華です。
階段で上がると黒漆塗りの6階が見られます。

もちろん華麗な障壁画も復元されています。

信長が食べたといわれる豪華なお膳。

当時の資料を元に復元されたものです。
まだ安土城趾や摠見寺など見たかったのですが、
腹ペコになってエネルギー切れ。

カメラもバッテリー切れなので、また季節のいい時に再訪することにしました。
車を飛ばして近江牛の有名店ティファニーでお昼ごはん。

牛トロ寿司とビールでホット一息。

近江牛のステーキは、日本のお肉にしては赤身が締まっていました。

つけ合わせの野菜とともに美味しくいただきました。
東西の権力と宗教の狭間で翻弄された4人の少年たちの物語に引きつけられ、
何度も本を読み返しています。
これは、ヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコ入り口の上のレリーフ。

最前列に、日本人が4人座っています。
昨日は、まさにその当時、安土桃山時代の様子が見られるという事で、
安土城築城のドラマが克明に描写された映画「火天の城」を見に行ってきました。

安土城は、天正4年(1576年)1月、琵琶湖湖岸に建設開始され。
天正7年、五層七重の豪華絢爛な城として完成しました。
しかし、「欧州にも存在しない」とさえ言われたこの城は、わずか3年で消失しました。
この幻の城を描いた唯一の資料と考えられているのが、
天正少年使節によってローマにもたらされた屏風絵。
時のローマ教皇、グレゴリウス13世に献上されたものです。
その行方を求めて、研究者・関係者がヴァチカンを訪問していますが、
存在は確認されておらず、行方不明のままとなっています。
しかし、近年になり「天主指図」が発見され、安土城天主が原寸大に復元されました。
そして、スペイン・セビリア万国博覧会に出展されたものが、
「安土城天主 信長の館」に展示されているとのことです。

今度は安土に行って、現地の雰囲気に浸ってこようと思います。